平穏な日々

世の中に絶望しつつも、世界をこの手で終わらせる気もない

保毛尾田保毛男の問題で思ったこととか

ここ数日ニュースサイトとかで見かけてちょっと気になったこと。番組は見てないし、自分自身ヘテロセクシュアルだし何か言える立場ではないとも思うのだけれど。

 

ポリコレ的にはフジテレビに問題がある事は明白。非難されるのは仕方ない。

 

でも、正直なところお笑いってそういうもんなんじゃないの?とも思ってしまう。それを見ている共同体の平均からちょっとズレてる事を指摘する事で笑いになる。ズレてる側から見たらそりゃ辛いだろう。

 

こういうお笑いといじめって根幹は同じ。学校でいじめを無くすにはどうしたらよいかっていろんな討議されてるけれど、まず前提として「いじめは面白い」事を認めなきゃいけないと思う。共同体の中でいじめが起こらないことの方が少ないんじゃないか。そして、ただ同じ年に同じ地域で生まれたというだけの共通項で集められた様々な人間が数年間生活する上で「みんな仲良く」「友達になれ」と強制されることがいじめを生んでいるとさんざんいじめの対象になっていた私は思う。

 

あ、いじめと犯罪は分けて考えて犯罪は罰せられるべき。暴力やら盗難やら法に触れるものは警察と司法に任せて欲しい。教師は学校という共同体の人間だから公平に裁くことはできない。からかわれるとか無視されるとか嘲笑われるとかのいじめの話。

 

保毛尾田保毛男の問題を「ひどい!」って声高に叫んでるのって、「落語の与太郎話は発達障害を馬鹿にしてるから演ずるな」位の違和感を感じてしまう。お笑いってそういうものだよ、と。発達障害から見たらほとんどのお笑いってかなり辛いんだよ。